大谷翔平の出色のパフォーマンスが際立つ一戦だった。
現地時間10月5日に本拠地で行われているパドレスとの地区シリーズ第1戦に、ドジャースの大谷翔平は「1番・DH」で先発出場。3点を追っていた2回裏に同点3ランをマーク。5打数2安打、1本塁打、3打点の活躍でチームの逆転劇を演出した。
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6シーズンを過ごしたエンゼルス時代には味わえなかった“10月の戦い”。否応なしに緊張感が高まる一戦だったが、大谷は異彩を放った。相手先発ディラン・シーズンの96.9マイル(約155.9キロ)の4シームを打ち砕いた3ランを放った直後には、バットを投げ捨てるフリップを披露。叫びながらダイヤモンドを駆け、先行されて重苦しかった球場のムードを一変させた。
だからこそ、識者からは大谷との“真っ向勝負”を選択し続けたパドレスベンチに疑問の声が上がった。鋭い指摘をしたのは、試合中継を担っていた米スポーツ専門局『FOX Sports』で、ゲスト解説を務めた元ヤンキースのデレク・ジーター氏だ。
ジーター氏は“ニューヨークの貴公子”と呼ばれた現役時代に5度のワールドチャンピオンを経験。10月の短期決戦の酸いも甘いも知るレジェンドは、勝負強さを発揮した大谷に対して「表現する言葉が見つからない。素晴らしかった」と絶賛。その上で、「なぜ勝負をしたんだ?」と繰り返すように訴えた。
「7、8、9番が彼の前に出塁していたが、なぜ彼と真っ向から勝負するんだ? いまだに理解ができないよ。とくに今日は一塁も空いていた。それなのになぜ彼に投げるのかはよく分からない」
結果的に試合を変えた大谷との真剣勝負。パドレスベンチからすれば、エースと言えるシーズが抑えて、シリーズ全体の主導権を握ろうとしたのかもしれない。だが、その決断は百戦錬磨のレジェンドにとっては疑問しかないようである。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
1994年7月5日、岩手県水沢市(現:奥州市)で、元社会人野球選手の父・大谷徹とバドミントン選手の母・加代子との間に次男として出生。7歳上の兄・龍太、2歳上の姉と共に育つ。 地元・奥州平泉にゆかりある源義経の八艘飛び(はっそうとび)のイメージから「翔」と平泉の「平」を合わせて父が「翔平」と命名した。…
387キロバイト (54,700 語) - 2024年10月5日 (土) 14:09
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